病院略歴

町田病院 略歴 history

明治21年

初代院長町田旦龍が帯屋町に町田病院開院。
現存する高知県の病院のなかで最も古い歴史を持つ。
初代院長町田旦龍
安政5年12月26日日高郡能津村(日高村)で生まれる。
19歳で医術開業試験に合格した後、上京し眼科を専門に研究した。
23歳で帰郷し、町田眼科を開業した。当時は高知に眼科専門医は居なく、新医療器具設備や手術の実績が評判となった。
また政治業界にも感心を持ち、市議会議員、県会議員、衆議院議員と務めその後は新聞業界で土陽新聞の社長を務める。
晩年は精神病患者のための施設「精華園」(現:海辺の杜ホスピタル)を
高知市長浜に設立。高知の医療業界、政治業界に大きく貢献した。

昭和26年 5月10日

2代目院長町田昌直が医療法人化 医療法人旦龍会町田病院 開設
標榜科目 眼科・内科・精神科・耳鼻咽喉科・産婦人科・外科 患者収容数 118名。
二代目院長町田昌直
明治33年2月25日高岡郡別府村(仁淀村)で生まれる。大正13年京都府立医専を卒業し、旦龍の養子として迎えられ町田病院を継ぐ。
医療法人精華園を設立し初代理事長に就任。高知県医師会長、精神衛生会長も歴任した。
また芸術や文学を愛し、俳句や絵画などの作品活動を行い、昭和21年は俳誌「絃」を創刊した。昭和35年随筆「巣箱物語」で高知県出版文学賞を受賞し、昭和42年文学振興を目的として、収入を文化協会に寄付し「椋庵文学賞」の基金と設定された。
高知の医療業界だけではなく、文化会にも大きく貢献した。

昭和27年 12月16日

改修 患者収容数 138名

昭和28年  4月 8日

改修 患者収容数 140名

昭和41年  9月 1日

改修 一般病床162床 精神6床 計168床
病床数168床 標榜科目 眼科・精神科・神経科

昭和45年 3月26日

町田龍三理事長就任
三代目院長 町田 龍三
 

昭和49年  7月 1日

3代目院長町田龍三が現在の町田病院に移転
病床数132床 標榜科目 眼科・精神科・神経科
移転前 帯屋町の町田病院の写真
帯屋町 町田病院東入口 帯屋町 町田病院 中から
帯屋町 町田病院西入口 帯屋町 町田病院 院内
西入口より
帯屋町 町田病院 受付
東より 東1より
建築前の旭町 南より北に向かって撮影

昭和52年  3月 1日

4代目院長町田照代が院長就任(現理事長)

昭和53年  9月 1日

精神科・神経科を休止

昭和60年  3月

精神病棟を一般病棟に変更(一般132床)

平成16年  4月

卜部公章院長、橋田正継副院長 就任 (現院長、副院長)

平成16年  4月

心療内科、精神科、神経科、内科を廃止 眼科専門病院となる

平成17年  1月

大規模改修工事終了 病床数105床

平成18年  8月

改修工事 1病棟60床

平成25年  5月

新館(東館耐震棟)完成

平成26年  7月

新館(本館免震棟)完成


現在に至る